ゴー・ビトゥイーンズ展: こどもを通してみる世界
2014.08.22 Friday*
JUGEMテーマ:アート・デザイン
今月一杯なので急いで!!
久しぶりにとっても面白かった。
例えば子供は親の海外出張先でいつか親を抜いて異文化との間に入って通訳をしてくれるようになるだろう。
そういう中国から来た家族を自分の子供の学校で見てきた。ゴー ビトゥイーンズである。
そして自分は今でも空想と現実を行き来してしまうことがある。子供の頃はもっと境が曖昧だった。
ゴー ビトィーンズである。
いくつか強烈に印象に残ったものがある。
ウォン・ソンウォンの写真「7歳の私」シリーズ。何度も何度も見直したくなる不思議な写真。現実なのか記憶の中の町なのか。体が小さいだけで、また視線が低いと言うだけで、全く違う観点から町や構造や大人を理解していた、あの感覚。
急速に経済と文化が変化する中国の北京でどこへ行けば良いのかわからなくなって漂流する魂。
ピカソの「泣く女」の絵を見ながら想像したことをイギリスの小学生達が次々に言葉にしていくのを見る面白さ。
夫と私で全く解釈の異なった「エイト」という子供の誕生日のパーティを撮ったヴィデオ。
土砂降りの庭で誕生日パーティのしつらえを黙々とひとりいじる子供の姿を、「近くで大人の声もしているにも関わらず、土砂降りのパーティを1人で庭で過ごす子供はなんて悲惨なんだ」と捉えた夫と「子供は究極のエゴイスト。土砂降りだろうが槍が降ろうが自分の誕生日は一人でも楽しもうとする。いらない物は見えなくなる。」と捉えた私。解釈はそれぞれ。
自分にもあった子供時代の栄光と悲惨が強烈に生き返ってくる。そしてなぜか微笑みたくなる。大人になったつもりでもまだ自分の中には強烈に子供が生きている、きっと誰しもがそんな気持ちになるのだろう。